1702年から1714年にかけて、ヨーロッパ大陸を巻き込んだ壮絶な戦いが繰り広げられました。それは「スペイン継承戦争」と呼ばれるものであり、ハプスブルク家とブルボン家の王位継承問題が絡み合っていたため、様々な国々が巻き込まれました。しかし、イギリスにとってこの戦争は単なる大陸の争いではありませんでした。イギリス国内にも大きな政治的・宗教的な対立が潜んでおり、その火種にスペイン継承戦争が油を注いだかたちになりました。
この戦いのさなか、イギリスでは「女王アンの戦争」と呼ばれる内紛が発生しました。
女王アンと王位継承問題
1702年に即位したアン女王は、ステュアート家の最後の君主でした。彼女は子供に恵まれず、王位継承は深刻な問題となっていました。イギリス議会は、カトリック教徒のジェームズ・フランシス・エドワード王子を王位継承者と認めないという決議を出し、プロテスタントのソフィア王妃の子孫であるハノーバー選帝侯ゲオルクが後継者に指名されました。
この決定は、カトリック信仰を持つ多くの人々から反発を呼び起こしました。特にスコットランドでは、ジェームズ・フランシス・エドワード王子を支持する「ジャコバイト」と呼ばれる運動が活発化し始めました。ジャコバイトは、王室の伝統的な権力を守り、カトリック信仰の自由を主張していました。
ジャコバイト蜂起とアン女王の苦悩
1715年、ジェームズ・フランシス・エドワード王子はスコットランドで反乱を起こし、自ら「ジェームズ3世」として即位を宣言しました。この「ジャコバイト蜂起」と呼ばれる事件は、イギリス国内に大きな混乱を引き起こしました。
アン女王は、ジャコバイトの反乱を鎮圧するために軍隊を派遣しましたが、戦況は膠着状態に陥りました。彼女は政治的に孤立し、国民からの支持も得られず、苦悩の日々を送ることになりました。最終的には、1715年6月にアン女王は死去し、ハノーバー選帝侯ゲオルクがジョージ1世としてイギリスの王位を継承することになりました。
「女王アンの戦争」の影響
「女王アンの戦争」は、イギリスの歴史に大きな影響を与えました。
- 王政と議会の権力関係の変化: 王位継承問題を通して、議会が王室よりも強い力を持つことを明確にしました。これは後のイギリスの政治体制、特に立憲君主制への転換に大きく貢献しました。
- スコットランドの独立運動: ジャコバイトの蜂起は、スコットランドの人々の独立意識をさらに高める結果となりました。1707年に「連合法」が制定され、イングランドとスコットランドが合併しグレートブリテン王国が誕生しましたが、スコットランドの独立を求める動きはその後も衰えることはありませんでした。
- イギリスの海外進出: スペイン継承戦争の結果、イギリスはフランスやスペインの植民地を獲得し、世界貿易における影響力を拡大しました。
「女王アンの戦争」は、単なる内紛ではなく、ヨーロッパ全体に波及した国際的な出来事でした。この戦争は、近代ヨーロッパの歴史を理解する上で欠かせない重要な事件であり、イギリスの政治、社会、文化に大きな影響を与えました。